T.Rex / Marc Bolanのトリビュートサイト。 Marc Bolan(本名Mark Feld)1947年9月30日生 1977年9月16日没。1970年代のBritish Rock,GLAM ROCKを代表するアーティスト。 Tony Vistontiに見出され、朋友David Bowie(デビッド・ボウイ)らと共に若い世代を中心に熱狂的な人気を得る。代表アルバムにElectric Warrior, The Sliderなど。今日も新たなファンを生み出し続けるロック界のメリエス。

 

T.Rex FILE REVIEW & Interview with 河添剛

T.REX FILE 監修者 河添剛氏への取材を通して

『T.Rex FILE』の実質的な著者である河添氏にインタビュー形式の取材を行ないました。カメラを回さず録音機材のみでのインタビューでしたが、内容はカメラなど必要としない充実したものでした。インタビュー以前、収録された全てを公開する、という形式を考えましたが、今回『T.Rex FILE』に記載された内容と重なる部分があるので、今回は取材レポート形式と致します。T.Rexファンのみならず、現代における音楽ジャーナリズム、とりわけ、「知」に飢えた多くの人々に向けた、とても純粋なお話を伺いました。

2005年7月吉日。
渋谷某所にて

彼の語り口や、評論を読む限りでは、彼は見えてこない。もしかすると、恥かしがり屋なのかもしれない。
それが証拠に、『T.Rex FILE』巻頭カラー最後のページに収められているアートワーク、Universal Loveのジャケット・デザインなどに代表されるように、T.Rexのピュアな部分をビジュアル化したのは、世界で唯一彼のみだろう。グラフィック・アートによって語られる彼にとってのT.Rexは、批評とは全く異質。
T.Rexに魅力を感じる全ての人と共有可能な、シンボルとも受け取れる。

これは、お世辞ではないし、彼を賛美しようと努めているわけでもない。何しろ私は、今回の取材では、どうかすると悪質にも思われる質問や、某巨大掲示板で彼を中傷している低俗な内容の投稿記事までも、河添氏本人に提示したほどだ。

河添氏による批評は、決して平坦ではない。
だが、万人受けする稚拙な内容で達成感を得る【音楽ライター】と【読者】という癒着の図式が一般化する中、
『T.Rex FILE』で展開された論理的な「批評」は、上記図式に気付き始めた知性豊かな読者の潜在的な求めに応じている。

さて、今回の『T.Rex FILE』がどのようにして刊行されたのか?
という質問をしてみた。答えは簡単だった。
「時世がそれを望んでいた」という事だ。
そして、彼は続ける。

「 T.Rex関係について書きたいと思うテーマは他にまだ沢山あります。
そのひとつが、マーク・ボランにおけるフランス性です。
これについては、かなり慎重な議論が必要だと思うので、僕は敢えて沈黙を守っているところですけど。」

『T.Rex FILE』については、「T.Rexファンだけに読まれたくない」と彼は断言する。
そこにあるのは彼に送られるいくつものメールに共通する一つのメッセージに見受けられる。

貴方の気概に惚れました

これが何を意味するのか。
今までT.Rexについて語られた文献や雑誌の評論の実質は、およそファンが求めるであろうことを、ファンだけに向けて書かれたものだった。
それゆえ、

「疲弊しきった現在の日本音楽ジャーナリズムは、まさに地に堕ちている」

とも氏は言及する。
少なくとも読者の多くはその事に気付き始めたか、もしくは、すでに気付いているのかもしれない。

音楽を語るのは青臭いという一方の風潮に対しても、ファンジン化した昨今のジャーナリズムに対しても、彼は批判の矛先を向ける。彼自身が音楽評論をする上において、危険なパラドクスに身を置くことにもなりかねない。ただ、その危険を、読者は求めている。少なくも私はそう考えている。

リアルタイム・リスナーの是非

"リアルタイム"という語は、「ロックジャーナリズムのジャーゴン(隠語)にすぎない」と彼は言う。
リアルタイム経験は、そうでない人にとって羨ましい経験の一つだろう。しかし、そうした経験は「物事の優劣を決定するものではないのだ」と彼は語った上で、
「リアルタイムを特権化することは経験の美化であり、主観性の自由を禁圧する反動行為だ」と続ける。
例えば、プラトンのリアルタイムな読者はいるだろうか。万が一居たとしても、そこにどれだけの意味があるのか。「T.Rex経験に対しても同様」だと彼は言う。確かにその通りだ。

リアルタイムの是非も、実はここに帰着するのであると思う。
現在5歳の幼児でも、99歳の老人でもなんでもいい。好きになったら、その時点で貴方はT.レックスのファンであり、ファン歴というものは一切効力のない「単なる何か」に過ぎない。

「肝心なことは、人はいついかなる時でも、突然の覚醒のようにT.レックスを愛する事が出来るという事実です」(河添氏)

T.Rexとの距離感

今回の彼の著書は、T.Rexとの距離感が計られている。
その距離がT.Rexを計測し直す深さなのだ。
これは、従来のT.Rex批評が距離が浅く表層的なものばかりだったという事から抱く私自身の感想であるが、実はこうした距離感は正常なことではないだろうか。

取材の中で彼はとても興味深いことを語る。その全部を紹介しよう。

『T.Rex FILE』は、ご存知のように計4人が書き下ろしています。ただ、実は当初は5人だったんです。

ある程度よく知られているライターが、5人目だったのですが、その方に
『ファンのためだけではなく、あらゆる人間が一つの宿命として読める内容の(お約束事を延々と書き散らす内容ではない)本、T.Rexを全く新たな形で体験してみようと提案するような本が出来ないだろうか?』
と持ちかけたところ、

『河添君、そんな事は無理だよ。
そんな稀有壮大な課題は僕ら音楽ライター達は全員投げている』
と言われました。

それでも、
『貴方なら書けるでしょう』
と一月半の執筆猶予を与え、締め切りを決めて待っていたのですが、呆れる事に、たかだか10枚の原稿を彼は落としました。
つまり、それが今の音楽ジャーナリズムの能力の実態なんです。

僕だってその気になれば、ありきたりのものなどいくらでも書けます。でも、そんなものを読者は本当に求めるでしょうか?
これまで散々書かれたマーク・ボランについて、常套句の反復を避けつつ、全く違う観点を批評に導入するのは当たり前でしょう。
それを、彼は『全く投げている』と言いました。
投げているのか、無能さゆえに出来ないのか、その辺のことは僕にはわかりませんが。」

聞いていて冷や冷やする内容でもあったが、その反面、私は心の中で喜びに沸いた。
5人目が誰であったかは語られなかったし、私個人は全く興味がない。
ただ、河添剛という人物が、実は全く普通の、そして良識のある人物であるという事に対してうれしい驚きを得たのだ。
私はそれまで、音楽出版業界に携わる人に対して余り良い印象を持たなかった。
特にそれは、90年代以降の話に限定して、である。
メディアの幅の拡がった現在、彼らは自分の住む場所を彼ら自身で選ぶことも、事態を少しでも健全化することも出来ないのではないかと考えた。
ただ、河添氏の場合は、いわゆる「音楽業界」の人間ではないからか、批評理念を大切にするよう努める良識を保持している。その点に、私は非常に感銘を受けたのだ。

インタビュー取材実現への経緯(私的メモ)

弱小個人サイトをやっていると、T.Rexなんかどうでもよく、サイトデザイン、CGIの設定、HTMLのコーディング、GIF画像の最適化などに気を取られてしまう。そういう作業好きにもなってくる。

今年は、BORN TO BOOGIEのDVDが発売されたり、※地域限定で、映画の上映が実現されたりと、余り宣伝されていないが、知る人にはそれなりのブームになっているだろうT.Rex / Marc Bolan。 ※名古屋・京都での上映も決定しています。(2005年8月現在)

しかし、個人的にはどうでも良くなってきたのは正直な気持ち。 そんな最中のある日、河添氏からの投稿をGUEST BOOKにて発見。サイト設立以来始めての「ファンのための」宣伝。こうした情報は大変貴重で、運営側からすると、ものすごくありがたく感じる。

宣伝そのものは、それが低俗なもの以外は大歓迎で、もちろん、きちんとターゲッティングされている事が前提ではあるが、私個人としては、宣伝こそ今もっとも重要な情報の一つであると思う。

こうした書き込みがきっかけで、その当人とお会いする機会に恵まれた。 インタビュー取材の概要は先述のとおりではあるが、彼自身の印象を最後に感想として記載しておきたい。

彼は、笑うと子供のようだった。 実際、子供なのだと思う。 子供のように純粋ということではなく、多くの大人達が妥協の上で安定を求めているのに対して、彼は常にやんちゃな冒険家としての素性を持ち続けているのだと思う。

彼はきっと誤解を受ける事に躊躇しない人なのかもしれない。インタビュー中に何度か出てくる直接的な発言がそれを象徴としている。 河添氏の個性について、インタビュー以来、考え続けてきた。それは、恐らくこのページを読んでいるあなたの方が先に気付いたかもしれない。

やんちゃな冒険家だ。

やんちゃな冒険家。実は、マーク・ボランも同じ素性を持っている。 表現の形の差こそあれ、彼ら二人に共通している何かを見出した。

最後に、このインタビュー取材記事掲載を快諾くださった河添氏に心より感謝いたします。

河添剛。アーティストであり、美術評論家である。 しかし、何より私にとって印象に残ったのは、世界中に点在しているT.Rex/Marc Bolanを愛する人の一人である、という事だった。

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Marc Bolan Memorial Day (2005/09/16)