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作者紹介
JOKA
10歳で「The Slider」に出会い、7枚聞き潰す。
15歳の時マーク・ボラン没(享年29歳)。
人生の目標を失うも、数年後、聖跡 Lexham Garden/Barnesに滞在(第二次ボラン・ブーム)
現在は第三次ボランブームに突入中。

ティラノザウルス・レックスは似非ヒッピー?

TEXT BY JOKA

「ティラノザウルス・レックスのファーストアルバムの曲のほとんどは、ジョンズ・チルドレンがヘビ・メタ・ヴァージョンでやっていたものだった。」
アンディ・エリソン(ジョンズ・チルドレン)
「ティラノザウルス・レックスとストリング・バンドに共通点なんて無かった。マークの曲はアコースティックだけど、常にロックさ」
マイク・ヘロン(インクレディブル・ストリング・バンド)
「マークがヒッピーだなんて、とんでもない。彼はヒッピーの服を着たモッズだったよ。」
トニー・ヴィスコンティ
今では、ヒッピー時代の伝説のフォーク・デュオと言われるティラノザウルス・レックス。
しかし、初めは4〜5人編成のロック・バンドで、数回ギグを行っていることは、あまり知られていません。
マークは「(ジョンズ・チルドレンがコンサートで破壊行為をしたため)レコード会社に楽器を没収され、アコースティック音楽をせざるを得なかった。」と述べています。

「実際は、(ロックバンドの)ティラノザウルス・レックスのギグがあまりにも悲惨で、怖くてロック・バンドを続けられなかったのさ。マークは5時に始まるギグのために、当日の3時にミュージシャンの面接を始めた。採用したのはルックスがいい奴とか、名前が面白い奴とか。どんなメンバーでも自分の魅力で何とかなるって信じてたけれど、そうはいかなかった。」
(ネピア・ベル)

そういう訳で始めた、アコースティック・デュオは、

「同時代のヒッピーのカリスマ、ゴングやインクレディブル・ストリング・バンドがしばしば『古臭い』と評されるのに対し、ティラノザウルス・レックスが新鮮さを失わないのは、似非ヒッピー音楽だからだ。」 (デヴィッド・マンテル)
確かに、「サラマンダ・パラガンダ」に代表される、神秘的な歌詞とマークの呪術的ヴォーカル、そして、「ラリったヒッピーが没頭できるような」スティーブ・トゥックのアレンジを取り除いてみると、そこにあるエッセンスはロックンロール。「ワン・インチ・ロック」と後の「ニューヨークの貴婦人」が同じリフであることで判るように。

ティラノザウルス・レックス時代のマークは菜食主義で、ドラッグもアルコールもやらず、トルーキンに傾倒する、静かなヒッピー・ライフを送っています。
知的中産階級の産物であるヒッピー文化では、音楽で金儲けをするのはもってのほか。マークは、名うてのギャラの交渉人、ネピア・ベルから、ヒッピーにそぐわないとして離れます。そして、貧乏生活が続き、九歳からの目標である、ロックンロールのスーパースターはあまりにも遠い位置に。壮大な夢のために、やっと手にした一部の熱狂的なファンと、アンダーグラウンドのカリスマの地位を手放すべきか。マークのジレンマが始まります。

華麗なロック・バンドのT.レックスは、よくいわれているような、マークのヒッピー達に対する「裏切り」の結果ではなく、ティラノザウルス・レックスに内在していたのでした。しかし、二人の友人に対しては、話は別です。

幸せなヒッピー・・スティーブ・「ペレグリン」・トゥック

マークがスティーブに出会ったのはマーク20歳、スティーブ18歳の時でした。 (マークが「ペレグリン」と名づけた、というのは真っ赤な嘘で、出会う以前から名乗っていたそうです)

二人は意気投合し、マークはスティーブのフラットに転がり込みます。
年下のスティーブはマークを養うために、ドラムキットを売却しました。
「ボンゴがあれば十分さ。」マークも彼に深い愛情を持って接し、スティーブが麻薬所持で捕まったときには高額の弁護士を雇い、釈放に尽力したのでした。
「マークとスティーブは信じられないぐらい親しかった」(トニー・ヴィスコンティ)

しかし、
「静かな男に見えるが、スティーブもまた、マーク同様カリスマ性に溢れていた。この二人がいつか衝突するのは自明のことに見えた。」
とは、某ティラノザウルスのファンの言葉。

ティラノザウルス・レックスの曲を作って歌うのはマークでしたが、アレンジは全てスティーブ、後にはスティーブとトニー・ヴィスコンティにゆだねられていました。スティーブはよくトニーのフラットで、徹夜で曲を作ったそうです。
良い作品が多かったので、トニーはマークに見せて、ティラノザウルスのステージで発表するように勧めます。スティーブも、マークが喜ぶものとばかり思っていました。
ところが、マークは激怒したのです。ティラノザウルス・レックスはマークのバンドで、スティーブはリード・ヴォーカルを取ることも、曲を発表することも、許されなかったのでした。

発表の場をなくしたスティーブは、ラッドブローク・グローブのヒッピー仲間、トゥインク(ピンク・フェアリーズ)のアルバム「Think Pink」に曲を提供しました。これが、マークの怒りに触れ、スティーブの解雇が決定的に。
マークは常々、麻薬中毒者だらけのスティーブの交友関係を嫌っていたし、自分に内緒で連中と活動したことも気に入りませんでした。また、マークの敬愛するシド・バレットが、スティーブと一緒にLSDの服用量の実験(!)を楽しくやっていたこともマークの嫉妬心を煽ったと言われています。
一般に解雇の理由と言われている、スティーブの麻薬常用癖は、
「解雇の決断を早めたにすぎなかった。」(トニー・ヴィスコンティ)

スーパースターになってから、インタビューでスティーブのことを尋ねられたマークは、
「ああ、どっかの貧民窟だろ。(笑)」と答えています。
このことは友人思いのスティーブを生涯傷つけました。しかし、苦々しい経験にもかかわらず、マークとスティーブは後に旧交を温めることになります。

カリスマDJ・・ジョン・ピール

故ジョン・ピールもマークの神秘性と教養の深さに魅せられた一人です。
特別番組を組むなど、ティラノザウルス・レックスを常に強力にサポートしたために、BBCの上司から書面で警告されたこともあるほどでした。
しかし、コマーシャリズムに走ったT.レックスが「Get it on」を出すと、方向性の違いからオン・エアをためらうようになります。

ジョンはその決断を説明するべく、マークに電話しますが、秘書がスターは今忙しいので後でかけ直します、と答えるばかり。ついにマークから電話がかかることはありませんでした。

一時期、非常に親しかった二人。ジョン・ピールは、マークのことを周りによくいる、売り出してもらったくせに、ビッグになったら知らん顔の連中とは違う、と思っていただけに、悲しみも大きかったのです。

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